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最高裁判所第一小法廷 平成10年(オ)560号 判決

上告人

右訴訟代理人弁護士

柴田龍彦

被上告人

株式会社北陸銀行

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

林弘

林功

中川郁佳

主文

原判決中被上告人の予備的請求に関する部分を破棄する。

右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

第一  上告代理人柴田龍彦の上告理由

第一の四について

所論の点に関する原審の認定の判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

第二  同第一の一ないし三について

一  原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

1  被上告人は、Bに対し、平成三年五月一五日に貸し付けた貸金債権を有し、これにつき、Bから被上告人に六〇〇五万九七一四円及び内金五九二八万一三九六円に対する平成四年二月一四日から支払済みまで年一四パーセントの割合による金員を支払うべき旨の確定判決を得ている。

2  Bは、a株式会社(以下「訴外会社」という。)の取締役であったところ、多額の負債を抱えて借入金の利息の支払にも窮し、平成四年一月末、訴外会社の取締役を退任し、収入が途絶え、無資力となった。

3  上告人とBは、平成二年一〇月ころから同居し、平成三年一〇月五日、婚姻の届出をしたが、Bは、働かずに飲酒しては上告人に暴力を振るうようになり、平成六年六月一日、上告人と協議離婚した。

4  上告人とBは、他の債権者を害することを知りながら、平成六年六月二〇日、Bが上告人に対し、生活費補助として同月以降上告人が再婚するまで毎月一〇万円を支払うこと及び離婚に伴う慰謝料として二〇〇〇万円を支払うことを約し(以下「本件合意」という。)、これに基づき、執行認諾文言付きの慰謝料支払等公正証書が作成された。

5  被上告人は、Bに対する前記確定判決に基づき、大阪地方裁判所に対し、前記貸金債権の内金五〇〇万円を請求債権として、Bの訴外会社に対する給料及び役員報酬債権につき差押命令を申し立て、同裁判所は、平成七年八月二三日、差押命令を発した。

上告人は、Bに対する前記公正証書に基づき、大阪地方裁判所に対し、生活費補助二三〇万円及び慰謝料二〇〇〇万円の合計二二二〇万円を請求債権として、Bの訴外会社に対する給料及び役員報酬債権につき差押命令を申し立て、同裁判所は、平成八年四月一八日、差押命令を発した。

6  訴外会社は、平成八年六月二四日、大阪法務局に二六一万〇四三三円を供託した。

7  大阪地方裁判所は、上告人と被上告人の各配当額を各請求債権額に応じて案分して定めた配当表(以下「本件配当表」という。)を作成したところ、被上告人は、配当期日において、異議の申出をした。

二  本訴において、被上告人は、主位的請求として、本件合意が通謀虚偽表示により無効であるとして、本件配当表につき、全額を被上告人に配当するよう変更することを求め、予備的請求として、詐害行為取消権に基づき、上告人とBとの間の本件合意を取り消し、本件配当表を同様に変更することを求めた。

三  第一審は、本件合意は通謀虚偽表示により無効であるとして、主位的請求を認容した。これに対して、原審は、本件合意が通謀虚偽表示であるとはいえないが、本件合意における生活費補助及び慰謝料の額は、その中に財産分与的要素が含まれているとみても不相当に過大であって、財産分与に仮託してされたものであり、詐害行為に該当するとして、予備的請求を認容した(原判決主文は、単に控訴を棄却するというものであるが、これは、主位的請求につき第一審判決を取り消して請求を棄却し、予備的請求につきこれを認容して第一審判決と同じ主文を言い渡す趣旨のものと解される。)。

四  しかしながら、原審の右判断のうち予備的請求に関する部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  本件合意は、Bが上告人に対し、扶養的財産分与の額を毎月一〇万円と定めてこれを支払うこと及び離婚に伴う慰謝料二〇〇〇万円の支払義務があることを認めてこれを支払うことを内容とするものである。

2  離婚に伴う財産分与は、民法七六八条三項の規定の趣旨に反して不相当に過大であり、財産分与に仮託してされた財産処分であると認めるに足りるような特段の事情のない限り、詐害行為とならない(最高裁昭和五七年(オ)第七九八号同五八年一二月一九日第二小法廷判決・民集三七巻一〇号一五三二頁)。このことは、財産分与として金銭の定期給与をする旨の合意をする場合であっても、同様と解される。

そして、離婚に伴う財産分与として金銭の給付をする旨の合意がされた場合において、右特段の事情があるときは、不相当に過大な部分について、その限度において詐害行為として取り消されるべきものと解するのが相当である。

3  離婚に伴う慰謝料を支払う旨の合意は、配偶者の一方が、その有責行為及びこれによって離婚のやむなきに至ったことを理由として発生した損害賠償債務の存在を確認し、賠償額を確定してその支払を約する行為であって、新たに創設的に債務を負担するものとはいえないから、詐害行為とはならない。しかしながら、当該配偶者が負担すべき損害賠償債務の額を超えた金額の慰謝料を支払う旨の合意がされたときは、その合意のうち右損害賠償債務の額を超えた部分については、慰謝料支払の名を借りた金銭の贈与契約ないし対価を欠いた新たな債務負担行為というべきであるから、詐欺行為取消権行使の対象となり得るものと解するのが相当である。

4  これを本件について見ると、上告人のBとの婚姻の期間、離婚に至る事情、Bの資力等から見て、本件合意はその額が不相当に過大であるとした原審の判断は正当であるが、この場合においては、その扶養的財産分与のうち不相当に過大な額及び慰謝料として負担すべき額を超える額を算出した上、その限度で本件合意を取り消し、上告人の請求債権から取り消された額を控除した残額と、被上告人の請求債権の額に応じて本件配当表の変更を命じるべきである。これと異なる見解に立って、本件合意の全部を取り消し得ることを前提として本件配当表の変更を命じた原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決中被上告人の予備的請求に関する部分は破棄を免れない。

第三  さらに、職権をもって判断するに、被上告人の予備的請求につき、主文において本件合意を取り消すことなく詐害行為取消しの効果の発生を認め、本件配当表の変更に請求を認容すべきものとした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中被上告人の予備的請求に関する部分は、この点においても破棄を免れない。

第四  結論

以上のとおりであるから、原判決中被上告人の予備的請求に関する部分を破棄し、右部分については、本件合意のうち取り消すべき範囲及びこれに基づく配当表の変更につき、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件の原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)

上告代理人柴田龍彦の上告理由

第一 原判決には法例違反の誤りがある。

一 原判決は、上告人が訴外B(以下Bという)となした慰謝料に関する合意が詐害行為に該当すると認定したが、これは民法四二四条の詐害行為に関する解釈を誤ったものである。

原判決はその判示の中で、「全体としてその額が不相当に過大であり、財産分与に仮託してなされたものと認めることができるのであって、詐害行為として債権者による取り消しの対象となり得るものと解するのが相当であり、」としている。

この表現は財産分与と詐害行為について判断された最高裁第二小法廷昭和五八年一二月一九日判決(民集三七巻一〇号一五三二頁)に基づくものであることは明らかである。

しかしながら、本件は離婚に伴う不法行為にもとづく慰謝料請求額の合意が問題となるものであって、財産分与が詐害行為に該当するか否かを判断した右最高裁判決とは根本的事案を異にするものであり、原判決は事実認定及び民法四二四条の解釈を誤ったものである。

二 本件で問題としているのは、財産分与ではなく慰謝料の合意である。

上告人とBとの間で成立した慰謝料の支払いに関する合意は、あくまで不法行為に基づく損害賠償としての慰謝料であり、ここには財産分与の要素は含まれていない。

財産分与と慰謝料の関係について、最高裁第二小法廷昭和四六年七月二三日判決(民集二五巻五号八〇五頁)は、財産分与は夫婦が婚姻中に有していた実質上の共同の財産を清算分配し、かつ離婚後における一方の当事者の生計の維持をはかることを目的とするものであるとし、相手方の有責な行為によって離婚をやむなくされ精神的苦痛を被ったことに対する慰藉料の請求権とは、その性質を必ずしも同じくするものではない、と判示している。

財産分与は、夫婦が有していた財産の清算であるから、積極財産の分配となる。最高裁昭和五八年判決の事案でも、不動産を財産分与として、代物弁済を原因とする所有権移転登記がなされていた。

本件でなされたのは慰謝料の合意と離婚後の生計の維持をはかるための費用としての毎月一〇万円ずつの支払の合意である。積極財産の清算たる財産分与とは根本的に異なるものである。

したがって、本件慰謝料が財産分与であることを前提として論じている原判決は、その前提の判断が誤っている。

三 慰謝料請求権は詐害行為を構成しない

本件では慰謝料について当事者間で合意されたものであり、問題となるのは不法行為に基づく損害賠償請求権が詐害行為を構成するかという点である。

離婚に伴う慰謝料は、離婚に至った者が受けた精神的苦痛を賠償するものであり、不法行為に基づく損害賠償請求権である。

不法行為に基づく損害賠償請求権については、たとえ債務者が無資力状態であり、債権者がそのことを事前に知っていても詐害行為が成立しないことは当然である。

たとえば多額の債務を負っている者が交通事故を起こし、被害者が損害賠償請求権を有することとなった場合、たとえ、偶然被害者が加害者が多額の負債を抱え見るべき資産を有していないことを知っていたとしても、損害賠償請求権が詐害行為にならないことは自明である。

それと同様のことが離婚に伴う慰謝料請求権についても言えるものである。

離婚に至る夫婦の中で、たとえば夫がギャンブルに凝るなどして多額の負債を抱え、妻として婚姻関係を継続することが困難になり離婚に至った場合、その妻の慰謝料請求権が詐害行為に該当するとしたら、妻としては精神的にも全く救済の途が閉ざされることになるのである。

そして、妻と夫との間で慰謝料の定めがなされた場合、それが自由な意思に基づき真摯になされたものであれば、それを尊重して有効なものとして認められるべきものである。

但し、その金額が異常に高額であるなど、自由な意思に基づいた真摯になされたものでないことが明らかに認められる場合には詐害行為に該当することもあろう。

しかし後述するように本件はそのような場合ではないので、本件の慰謝料に関する合意は詐害行為には該当しないと解されるものである。

四 本件慰謝料が不相当に過大とされた点は誤りである。

1 高額か否かの判断方法

原判決は、その判示の中で、「控訴人は、Bの過去の収入額や不動産の所有から高額ではないと主張するが、高額であるか否かは本件合意をした時を基準とすべきである」としている。

この判示の仕方からすれば、過去の収入等は慰謝料の算定の考慮に入れないとの趣旨に読めるが、これは根本的な誤りである。

まず、原判決は、本件合意を財産分与を含むものと考えているようであるため、財産分与のことについてであれば、その判示は正しいであろう。しかしながら、本件は離婚に伴う慰謝料請求権の問題であり、その場合には絶対的な誤りである。

慰謝料は離婚によって受けた精神的苦痛の慰藉のためのものである。

たとえば、婚姻中膨大な資産を有し、優雅な生活を送っていたが、夫が何らかの理由によって財産を失い、全くの無資力となり、最終的に夫婦も離婚せざるを得なくなったような時に、合意をした時の資力を基準として判断するとして、非常に低額な金額しか認められないとしたら、全くおかしなことである。

もともと高額な収入があり金銭的にも恵まれそれに相応しい生活をしていた夫婦がその後の激変により全く逆の境遇になった場合に、その妻が受ける精神的苦痛は甚だしいものである。本来であれば、金銭的にも恵まれ優雅な生活をずっと続けられる筈であり、それなりの境遇と地位が得られる筈であったのにそれが裏切られた時の苦痛というのは極めて大きくなるものである。

したがってこのような場合には離婚前に夫の資産が減っていても、妻から夫に対する慰謝料請求権は減額されるわけではなく、受けた精神的苦痛の度合いによっては資産が減少するにしたがって慰謝料の金額が増加することになるはずである。

したがって、慰謝料の金額の算定の関する限り、高額か否かを、合意の時の資産状況だけで判断するのは明らかな誤りである。

2 本件での慰謝料が高額ではないことについて

本件においては、特に上告人及びBの以前の生活からみて、二〇〇〇万円の金額が不相当に高額であるとは到底言えないものである。

Bはもともと年収五〇〇〇万円はあり、上告人らが居住していた婚姻当時のマンションも約三億円していたものである。上告人及びBの金銭感覚からすれば、一〇〇〇万円単位の金額が特に高額とは言えないのである。

当事者間の認識としても、これが詐害的であるとの認識は全くないのである。

3 原判決は、本件慰謝料の額が不相当に過大であると認定しているが、この認定の基礎にあるのはおそらく、裁判所が離婚に伴い判決する場合の慰謝料の金額を前提にしているものと思われる。裁判所の判決により認められた慰謝料の金額は、ほとんど一〇〇万円単位の金額であり、一〇〇〇万円を超える金額が認められることは極めて稀な事例であることは顕著な事実である。

このことは弁護士や裁判所での離婚事件を経験した者、あるいはそれらの者から話を聞いた者位であれば、分かっていることである。しかしながらそのようなことは、裁判所の離婚事件の実体を知らない者からすれば、全く分からないことである。

このような状況で裁判所の実状を知らない者同士が離婚に当たり、慰謝料の金額を決めた場合にはそれが直ちに裁判所の基準となる金額を超えるからと言って過大であるとして不相当というべきものではない。

裁判所の相場、基準を知らない者同士が真に慰謝料の金額を定め、後にそれが無効とされ、取り消されるとすれば、当事者の意思はどのように扱われることになるのであろうか。

裁判所の金銭感覚からすれば、本件では婚姻期間もそれほど長くなく、離婚当時はみるべき資産もないから慰謝料はせいぜい一〇〇万円程度が相当とでも言うのであろうか。

もしそうであるならば、本件上告人は精神的にも経済的にも全く救済の途を閉ざされたことになる。そのようなことは法が本来予定しているものとは到底考えられない。

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